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ミクロとマクロの視点から見る障害者と社会 ②

さて、今回は次回の続きということで、マクロの観点から障害者と社会について考えよう。

 障害者がいなくなればいいという主張の中には、「彼らが税金で賄われているから」という点が含まれている。重度の障害者は生産性がないので社会に貢献せず、ただ国庫から金が出て行くだけという主張だ。今回はこの主張になぞらえて、粗野ではあるが経済的な観点から物を見よう。確かに、有り体に言ってしまうと障害者がいなければそこにかけている分の金は減る。その分を生産性が見込める事業や人物に充てた方が、国全体としては良いかもしれない。軽度の障害者に関しては変わらず政府が援助をすることで普通の生活を送りある程度の生産性を維持できるだろうし、巨視的に考えると社会全体をいい方に持っていくように見える。しかし、雇用の減少という問題もある。介護施設や特別支援学校で働いている人や、身体障害者を助ける器具を開発、販売している会社の社員などはお先真っ暗である。仕事が途端になくなるのだ。決して小さい数字ではない。これらの人々の職を失わせることと、障害者に払っていた国の金が浮く分とを天秤にかけなければいけない。

 無論、社会の幸福は生産性やGDPで全て説明できる物ではない。そもそも私が前述した側面が経済的な影響の全てではないし、経済的な要因のみを根拠に障害者の安楽死を始める訳にもいかない。例のごとく粗末な結論で申し訳ないのだが、今まで書いてきたような要素をキーワードにこれを読んだ方が自身でこの問題について考えてくれるきっかけになることが今回の狙いだ。抽象的でぼんやりした内容になってしまって申し訳ないと思うが、筆者自身立場を決めかねているのだ。それぞれが色々な立場と視点から、障害者と社会の付き合い方について深く考えて欲しい。くれぐれも、小中高と培ってきた道徳教育に完全に依拠した考えはやめて欲しいと思う。それが反対であれ賛成であれ、既存の価値観のみに囚われることなく自分の中でしっかりと考察して欲しい。

 最後に一つ、この問題に絡んだ興味深いデータを挙げて今回は終わろうと思う。

 日本のいくつかの病院グループで実施された胎児の染色体異常などを調べる出生前診断で、異常が発見された親の97%は中絶を選択している。