理論経済学は間違っている?(前編)

 経済学はしばしば、その理論が非現実的な仮定を置いていると批判をされる。経済学を揶揄したジョークに以下のようなものがある。

 無人島に物理学者、化学者、経済学者の3人が流れ着いた。目の前には食料の入った缶詰があるが、缶切りはない。

 3人はそれぞれこう言った。

 物理学者「缶を高いところから落とそう」

 化学者「缶を熱して膨張させよう」

 経済学者「ここに缶切りがあると仮定しよう」

 ジョークの解説は親殺しの次くらいにやってはいけない事な気がするが、ピンとこない人が殆どだと思うので解説をしよう。当然ながら無人島に缶切りなど無いが、経済学者はそんな時でさえ缶切りがあることを「仮定してしまう」というのがこのジョークのキモになっている。

 個人的にはこのジョークを考えた人は経済学について殆ど何も知らないのだろうなと思うのだが、一方で理論経済学に非現実な仮定が多くあることも事実である。市場において全てのアクターが経済的合理性に則り行動するというホモ・エコノミクス(合理的経済人)の仮定はその最たる例だと思われる。

 理論経済学の対極にいるのが、実験経済学である。実験経済学は文字どおり実験を行い、経済理論と現実の整合性について研究したり、現実での経済行動に関する統計から新たなモデルを作ったりしている。

 実験経済学と理論経済学の乖離というものは極めて興味深い。あまり経済学に興味がない人でも実験経済学と理論経済学の比較は面白いのではないかと思うので、1つ具体例を紹介したい。

 最後通牒ゲームというゲームを見てみよう。一見経済学と関係なさそうに見えるかもしれないが、ゲーム理論という経済学の一分野で扱う内容だ。

 このゲームはAとBの2人のプレイヤーで行われる。2人で100円を山分けしたいのだが、その際に両者の取り分を決める必要がある。Aは取り分の提案権を持っている。0〜100円の間でAの取り分を決定し、Bは残りを受け取る。Bは拒否権を持っている。Aの提案した額に対して拒否権を発動すると、AとBはどちらも1円たりとも貰えない。

 ここで両者のとる行動は理論上1つに絞られる。それはAが99円を提案し、Bはそれを受諾して1円だけ貰うという行動だ。簡単に解説しよう。Aはできるだけ取り分を多くしたいと思っている。そこで、理論上Bが拒否しないギリギリの額を提示することが最良の行動になってくる。

 Aが99円を提示するとBの取り分は1円だが、拒否すればBの取り分は0円になる。言うまでもないことだが1>0であり、Bはこの提案を受け入れることになる。(厳密には100円の提示も部分ゲーム完全均衡といって合理的な選択肢と言えるのだが、それを話し始めると複雑になるので割愛する)

 ここまで読んでどのように感じただろうか。理論的には間違っていないが、現実的でもないと思わないだろうか。実際にこのゲームをやってもらう実験を行うと、ほとんどのケースではAとBがおよそ半分ずつ受け取る提示がされており、50円よりもかなり多い額をAが提示するとBに拒否をされているという結果が得られる。理論上合理的に行動する人はほとんどいないのだ。(筆者はこの実験結果を見たときとても感動したのだがどうだろうか)

 少なくとも、この最後通牒ゲームの結果を見る限り理論経済学が現実性を欠いた役に立たない学問のように見えなくもない。果たして、理論経済学は間違っているのだろうか。

 少なくとも私個人は理論と実験結果の乖離を引き合いに出して理論経済学を批判することが常に適切だとは思わない。次の記事ではその理由について3つのポイントを元に解説することから始めようと思う。