エビデンスベースで議論をしよう

 「保育園落ちた日本死ね」という言葉が話題になってしばらく経ったが、当時安倍総理がこの件にどのようなコメントをしたか覚えているだろうか。

 総理はこのブログを紹介した山尾氏に対し、「匿名である以上本当かどうか確認できない」と言っている。他にもブログの内容に対し信憑性を問うようなヤジが飛んだそうだ。

 このことに対して「待機児童問題は事実である」ということを主張し安倍総理に対して怒りをあらわにしている人がちらほらいた。おそらくこの件を断片的にしか見ていないのであろう。きちんと答弁の様子を見れば、匿名のブログを引き合いに出した山尾氏に対して証拠能力の低さを指摘した後、総理はきちんと子どもを保育所に入れられなかった人がいる現状は理解しており保育士の待遇改善など対策を進めているともきちんと話している。

https://mainichi.jp/articles/20160308/ddm/005/010/067000c

 今回はメディアの話ではないので深くは掘り下げないが、このようにミスリリードをさせるような記事を書く新聞社にも問題はある。しかし、後述するように「エビデンス」に対する意識を高く持てばこのような記事によって誤解をすることもないだろう。

 タイトルにもあるように「エビデンス」という言葉が今回のテーマだ。小池百合子都知事が「エビデンスベース」という言葉を使ったところ難解な外来語の一つとして紹介されておりびっくりしたのだが、ご存知ない方のためにも一応説明しておこう。

 エビデンス(evidence)は証拠や証言という風に訳される英語だ。エビデンスベースとは「証拠に基づいた」とでも訳すのが適切だろう。

 言うまでもなく、何らかの議論をする際には具体的な証拠を用いる必要がある。証拠にかける主張は極めて稚拙だ。しかし、山尾志桜里氏は国会議員という立場でありながら話題性の高さに目をつけ匿名のブログという到底証拠とは言えないような物を議論に持ち込んでしまった。

 それに対して安倍総理が「匿名である以上本当かどうか確認できない」と返答することの何がおかしいのだろう。ヤジが飛ぶのも当然で、本来であればそんなものを引き合いに国会で議論をしようということ自体が間違っているのだ。

 しかし、安倍総理の発言は批判に晒された。おそらく待機児童問題は事実だという旨の批判をしたかったのだろうが、前述の通り総理はそのことについてきちんと認識、言及している。

 この誤解自体も、メディアの発表を鵜呑みにせずに「エビデンス」はどこにあるのかということを意識し確認していれば回避できたことだ。勿論全ての報道についてそれを行うことは難しいが、少なくとも何かを論じる際に複数の異なる記事を参照する程度のことはしても良いのではないだろうか。

 仮に総理が現状の認識について言及していなくても、安倍総理の発言は至極真っ当だとも言える。総理は匿名のブログが証拠にはならないということを指摘したわけで、それ自体は批判される要素などない。

 本来であればそれがエビデンスになり得るかどうかをきちんと踏まえた上で話を進めている安倍総理は正しく、巷で噂になっている程度の匿名ブログを引き合いに議論をしようとした山尾議員こそ批判されるべきではないだろうか。

 繰り返し述べてきたように、議論は適切な証拠がなければ成立しない。MITで医療経済学を研究しオバマケアの設計にも関わったJ・グルーバーは「オバマケアで医療費が上がった話をよく聞くが医療制度は改悪ではないか」という質問に対して「個人の意見の寄せ集めはデータではなく、エビデンスでもない」とした上で適切に収集したデータから国民全体の保険料は安くなったと説明している。

 ここからは個人的な意見になるが、偏った主張や証拠を欠いた発言はその発信者のみならずそれを鵜呑みにして拡散してしまう人間にも問題があると思う。知能の足りない人々が流布しているアンチワクチンの主張や科学的な根拠のない代替医療など人々に害を与える代物も多くある。そのような害を齎す諸々は社会の構成員がエビデンスに対する意識をきちんと持てば排除することが出来るはずだ。

 皆さんの多くは何らかのSNSを利用しているのではないだろうか。そこでの発言にいつでもエビデンスが伴っているべきだとは言わないが、少なくとも社会的な問題に触れる際には「エビデンスベース」の議論を意識して欲しい。それと共に、何らかの社会的な問題に触れた投稿をシェアする前にそれが「エビデンスベース」の議論なのかどうかをきちんと見極めることも行なって欲しいというのが私の願いである。