子連れ市議の何が問題か—議会とは、議員とは—

 毎回記事の内容が世間で中心となっている話題から遅れている気がするが、暇なときに書いているものなので許してほしい。

 遅れているとは言ったものの、先日熊本市で子供を議会に連れて来た議員がいたことは記憶に新しいのではないだろうか。これには賛否両論あったが、結果として市議は厳重注意を受けることとなった。個人的には当然の結果かと思える。

 この議員が訴えたかった問題は、当然ながら日本における子育て環境の不備だろう。当の本人も「子育てと仕事の両立に苦しむ女性の悲痛な声を可視化したかった」との発言をしている。

 しかし、今回の行動には明らかに問題がある。ここでは大きく分けて2点の問題点を指摘しようと思う。

 問題点の1つ目は今回の行動が議会における物であったということだ。議会というものは言論の府である。よって、本来であれば議会における様々な行動も言論を通した物であるべきだ。テレビのニュースなどでしばしば見る野党による妨害行為の様子が「言論の府」から大きく逸脱した物であることは聡明な読者ならお分かりだろう。

 であるとすれば、今回の市議の行動も同じく、言論の府という議会の在り方からは程遠い。問題の焦点化のために、直接行動が極めて重要な政治的手法である事は否定しない。しかし、それは議会の内部で行うことではないのだ。

 議会において子育ての問題を焦点化したいのならば、待機児童の数や問題を抱える親へのヒアリングの結果などを提示し、そこから法案の提出や予算増加の要望を提示するべきである。

 少し話は逸れるが、当然ながら議会以外の場面であれば同様の事をして良いという話ではない。たとえ今の保育環境に問題があるとしても、会議や会合、勉強会などに乳幼児を連れて来れば迷惑がかかる事は自明だ。他者に迷惑をかけるような問題の焦点化は根本的な責任が本人に無くても、風当たりを強くすることになる。

 そのような粗暴なことを少数の人が行うせいで、問題解決は遠のいてしまう。同じ問題を抱える人にとっても迷惑であり、事実今回の件では子育てに困る女性たちからも批判の声が上がっている。

 問題点の2つ目は、議員は「公人」であるということである。議員の公私混同は言うまでも無く御法度である。まして議会という公の場に公人である議員が私的な問題を直接持ち込むという事はあってはならない。

 子育ての問題はもはや社会的な問題であると言う人もいるだろう。確かに、子育てに関する問題そのものは社会的な問題である。しかし、議員一個人が自分の子供を議会に連れてくること自体は極めて私的な問題ではないだろうか。

 いくら公人とは言え個々人のプライベートは尊重されるべきだろう。しかし、先ほども述べたようにそれを公的な場面に持ち込む事は不適切だ。議員は公費から給与を得ている公務員であり、アマチュアが趣味で議員として活動している訳ではない。少なくとも渦中の議員は自らの立場について考えて行動をするべきだったのだ。

 今回の事件で議員を批判している人々は背後にある問題を隠しているという指摘があったが、それは間違っている。私を含め大多数の人間は子育てを巡る問題の存在、そしてそれを解決することの必要性を認めつつも、それとは別で具体的な行動の内容について批判をしているのだ。

 この事件を契機に問題が解決に向かえばそれで良いのだろうか。それは結果論に過ぎないのではないだろうか。問題解決のために乱暴な方法を使う事が常態化した社会は考えるだけでも恐ろしい。

 子育ての問題に限らず、もしも何らかの問題を解決したいのであればそのための手段には十分注意する必要がある。何か伝えたい事、訴えたい事があるとしても罪のない他者に不利益を与えるような行動をとってしまってはいけない。今回の事件を教訓に、我々も問題提起や問題解決の手段について十分に吟味する必要があるだろう。