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薄給も過酷な労働環境も事前に分かった事ではないのか

 ある売れないバンドマンがいたとしよう。バンド活動での収入だけでは十分に食べていけない。彼が「稼ぎが少ない」だとか、「移動も運搬も全部自分でやらないといけなくてしんどい」とか、そういった事を嘆いたとして、どう思うだろうか。それは由々しき問題だ!バンドマンの労働環境を改善するべきだ!と思うだろうか。それはあまり自然ではない。大体の人は、「自分で決めた道なのだから文句を言うならやめろ」「大変な道なのは最初から分かりきっていただろう」「好きな事をしているのだからそれだけで幸せ」などと思うのではないだろうか。

 では介護や保育の場面だとどうなるだろう。賃金の低さや労働環境の悪さなどが問題視されている。程度は違うが前述した売れないバンドマンと同じような問題を抱えている。それなのにどうして、「賃金が低いのはおかしい!」「労働環境を改善しろ!」といった言説はまかり通って、「自分の選んだ道だろう」「やりがいがあるからそれで十分じゃないのか」といった言説はしばしば目の敵にされるのだろうか。

 介護にせよ保育にせよ、給与の低さも業務内容のハードさも就職して初めて知り得る驚きの事実ではない。最近では多くの人がその事実を知っているし、話題になる前だとしてもその道を志すなら給与や業務についてきちんと調べて知っておくのは常識だろう。

 自分の好きな仕事だから、やりがいがあるから、と言った言葉は根性論として批判の的になるが、実際にはそれが事実だ。給料が低いことも労働環境が良くないことも「予め知っていて」その道に進む事を決めた人間が、その事について不平を漏らすのは矛盾してはいないだろうか。

 自分の好きな仕事だから、給料以上のやりがいがあるからと思い目指したのは自分自身で、それに耐えうるキャパシティーや覚悟が自分にあるかどうかを判断できなかったのも自分自身である。やりがいだけでは生活できない。根性だけでは働けない。一般的な事実だろう。やりがいや根性で飯が食えたら苦労しない。しかし、やりがいや根性で何とかなると思った自分の見立てが甘かったのではないだろうか。

 ここまで読んで、バンドマンと介護や保育を一緒にするなと思った人もいるかも知れない。確かに、両者は社会一般における重要度が圧倒的に違う。バンドマンがこの世にいなくても困らないが、介護職員や保育士がいないと非常に困る。しかし、それと給与には関係がない。何故関係がないのかを、経済学において有名な例え話、ダイヤモンドと水に関する話から考えてみよう。

 ダイヤモンドは人間の生活に不要である。この世にダイヤモンドが一切存在しなくても人は死なない。では水はどうだろう。水が世界から一滴も無くなったら、人は100%死ぬ。明らかに、人の生活に欠かせないのが水で、不要なのがダイヤモンドだ。しかし、ダイヤモンドと水のどちらが高価かと言えば圧倒的にダイヤモンドの方が高価である。答えはシンプルだ。稀少性があまりにも違う。水はありふれている。もちろん使い放題ではないし、真水となるとタダで手に入れるのは難しい。しかしダイヤモンドと比べれば非常に大量にある。逆に言えば水と比べてダイヤモンドは極端に量が少ない。社会にとって、人々にとって重要である事と価格の大小は無関係である。需要に対して供給が極端に少ないと価格は当然釣り上がる。偏に稀少性こそが価格の決定要因なのだ。

 労働力も同じである。国会議員になれる人、金融市場の予測や分析ができる人、医師免許を持ち医療行為が可能な人などは相応の才能や技能を伴っており、そのような物を持っている人は社会において相対的に稀少である。供給量が少ない。プロのスポーツ選手も同様の理由で年俸がとてつもなく高い。だからこそ労働力の購入者である雇用主は彼らに高い賃金を支払わなければ、彼らを獲得、維持できない。彼らは受け取った高い賃金以上の利益を雇用主にもたらすだけの能力があるのも事実だ。逆に、賃金が低い業種というのはその仕事に従事する上で必要な、あるいは雇用主が求めている才能や技能を持っている人が相対的に多い。一方で一人一人の生産性が高いかというとそうでもないので、高い金を払ってまで雇おうとするだけのインセンティブがない。バンドマンも薄給の労働者も、悪い言い方をすれば代わりが溢れていたり生産性が低かったりといった理由で賃金が低いのだ。そこに社会的な意義も重要さも関係ない。

 無論、社会的に重要な業種である以上は従事者がいなくなってしまうと困る。低賃金で離職率が高い状況が続き、応募も減って行けば死活問題だ。ある程度政府のテコ入れをして社会にとって重要な業種の賃金や労働環境を改善することは社会にとって今後の課題である。しかし何でもかんでも政府が介入、支援すれば上手くいく訳ではない。これは数々の歴史が物語っている。どのように、どの程度補助を出すべきなのかは極めて難しい問題なのでここでは割愛しよう。

 ここまで述べたように、就職前から分かりきっていた賃金の低さや労働環境の悪さについて、従事者本人が声を大にして社会に叫んでいる状況には疑問を禁じ得ない。それが嫌なら最初から従事するべきでは無かったのではないか。よほど特殊な境遇でも無ければ周囲に強制されて進路を決定したわけではないだろう。それならば自分の意思決定や見立ての甘さを呪うしかない。